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我が輩は美大生ではない、先もまだ不安である。

  • 2012年4月25日 20:39

 


「信じられるデザイン」を問われてもとんと見当もつきませんね。

きっとこれをライフワークにしている人が世の中には無数にいて、
これを産み落とすがために悩み苦しみ、もがき、血涙を流すようなことを
今日もどこかできっと行なわれているはずで、
安易にこれを語ろうとすれば
きっとインテリどものサンドバックにもなってしまうかもしれないほどの
難問です。多分。

対しましては
大した技術もなければ、
誰かに何かを説けるほどの語彙力も持ち合わせておらず、
デザインに対して深く知る気もないし、美大生でもない、ニチゲー生の
猫鼠男。

大したことはいいません。
冗談半分でみて、なにか思う事が生まれたなら、それだけこちらは儲け物です。
では語らせてもらいます。

 

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         【信じられるデザイン】とは何か?

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デザインなんて、ぱっと見でぐっとくれば、
それだけで救われるものだと思うんです。
それを回りくどい文面で繕って頑張ろうとしても
語ることを見失っては、結局自分の信じるデザイン学を
語るだけのものになってしまいそうなんですよね。
かといって問われればそれを語らずにはいられない魅力があるんですよね。

なんとも言えないので、まずは
「信じられるデザイン」自体から思ったことをつらつら書いていきます。

漠然とし過ぎるテーマって自分の創作を正当化させてくれます。
大した説明をしなくても、妙なありがたみみたいなものがある上に
一つ共通する要素があれば、それだけでイコールになり得てしまえる
当たり障りのない綺麗で意味深は言葉。これはその類な気がします。

そんでもって信じられるということは頼ったり、よく利用する「モノ」に限られます。
デザインだから概念というわけにはいかず、心情だったり気持ち的なものは
どっちかといえば自身のデザイン学に入るものだと思います。
なんで「モノ」で語るのが妥当かなと私は思います。

そこらへんをこねくりあわせたあげく
私の中の「信じられるデザイン」として考えたのは
「文字」です。

文字だけはどうしても頼ってしまえるんですよね。
意図的にしろ無意識にしろ、最終的にはここを拠り所にしてしまう。
フォントひとつにしても、ゴシックでも明朝でも丸モジでも
ものによっては組み込んでしまいますし、
説明としてまたはタイトルとしても利用します。

「文字」を上でいった「モノ」に入れるかといえば
少しずれているのかもしれませんけどね。
ですが、私はデザインを深く知る気も
その違いに対して明確に説くことの出来る語意力もありません。

ただ、書体を変えたり、その文字のために周りをきれいに取り繕ったりと
文字はデザインを作る起点として作用してくれます。
その行為は文字をデザインを作る上でなくてはならないものと信じているから
出来る物事なのではないでしょうか。それが意図的にしろ無意識だとしてもです。

難しいことはわかりません。
私は文字に対して何か特別なものを思っているというわけでもなく、
ただ単純にそう思っただけです。

ながながとなりまして、少し堅く語りすぎた気もします。
どうもすいませんでした。
 

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