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次なる居場所は手の鳴る方へ

  • 2012年5月20日 14:41

 
昨日、日芸春の学園祭「春祭」を観にはるばる所沢までいってきました。
日芸は校舎を1.2年と3.4年で移動しなきゃなりませんので、
真っ当に単位を取ってきた私にとっては一年ぶりの所沢校舎。

所沢校舎は江古田校舎での生活が見劣りするほど、愉快で、
何をやっても許される空気が校舎中に蔓延している
私にとって楽園のような場所の一つです。

そこでは骨が折れて、じん帯切ろうともかまなかったし、
知らない分野の物事でも飛び込めばなんとかなる気がしました。
誰もが自分を無敵だと信じて疑わないよりすぐりの夢追い人で、
何もなかった一年生の私にとっては
何もかもが素晴らしいもののようにみえてしょうがなかったのです。

ですが、もうここは私の「居場所」ではありません。
行こうと思えば行けるからこそ今まで気にも止めなかったのですが、
今の「居場所」は江古田であってここはただの良き古巣でしかないのです。

だからこそ学生生活で最後の所沢生活である「春祭」を
みっともなくバカみたいに楽しみました。
そして、所沢の思い出を巡り、
暗くなるまで残っては、昔話に華を咲かせ
懐かしの学バスで帰路につき、
一人になってもやはり昔を思い出に浸り続ける。

所沢の二年間は私にとって黄金期です。
過去の小、中、高の思い出たちと比べても、別格なものとして胸に留まり
どんな美酒にも合うとっておきの肴として
いつでも引き出されることでしょう。

「居場所」は一つしか持てません。
椅子を二つ使い座っても居心地のいいものではないのと同じように
何個も持とうと欲張っても結局一つに収まってしまうのが常。

小、中、高、大学と運良くいい「居場所」に巡り会えてきた私ですが
次なる居場所はそれらとは少しかっての違うもの。

今までが与えられた道だとすれば
これから先は切り開く道。
与えられすぎて肥えた世代にとっては、切り開くという行為自体、
未知数の経験なので、どうなるのかわからないものです。

次なる居場所をどこに置くのかをみてみたい人ばかり探しては、
私自身の次はあまり深く考えておらず
どこかで手が打ち鳴らされるなんて甘いことを期待しているのです。

いつまでも思い出はきれいなままですけども
それだけじゃお腹がすくだけですし、
次に居座る居場所をいいところにするための準備と
思い出をくれたここに何かを残すための準備もしなくてはなりません。

今日はいい天気とは言いがたいですが、過ごしやすく、
何かするにはちょうどいい。
家に籠ってはパソコンとにらめっこに終始しようかと思います。

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