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ラスト

  • 2013年4月 1日 00:00

 
これが正真正銘最後の美大日記となるわけですが…


困った事に書く内容が見あたりません。
伸ばしておきながら、あれですが、言いたいことなんて特にないのです。

大学へのお別れもいいました。
美大日記へのお別れも言ってしまいました。

そうすると案外何もないものです。

別に語ることがないわけではありません。
何もないのに書こうとするのが随分と久々な気がしたのです。


何かあった時にしか書かなくなっていた自分というのはもうずっと昔からいます。
ですが、思い返すとなんか事務くさいことやっていたなぁ、と考えちゃいます。

何もないのに書くことの方がずっと大変で、
時々思い出したように美大日記を引っ張り出しては
書いていたものというのはやっぱり楽なものです。

もったいないことをした、と今になって思います。
何もないところからひねりだすのが面白いのに、
何かあったことを書いても、面白いわけがないのです。

私にはそれが出来なかったのです。
やるかやらないかではなく、
出来なかったのです。

もし、何もないところから、書き綴る三年間の道があったとしたなら、
きっとその猫鼠男は今の私とは別の道を選ぶ男になっていたかもしれません。

今の道に後ろめたさは微塵もありませんが、
ただ色々とあったはずの可能性の道に羨ましさを覚えます。
それは選ばなかった道ではなく、私の選べなかった道なのです。

選ぼうとすることは出来たのかもしれません。
しかし、そこに踏みとどまることは憶測ではありますが、
叶わないと思うのです。

美大日記を上手くやれなかった自分を思い返す行為は
多分これから先も何回かすることでしょう。
文章が上手く書けなかったときとかきっと特にしてしまうはずです。

人の存在とは、そのつどの、
『かつて、おまえはいかにあったか』であり、
『かつて、おまえは何であったのか』である。
人の存在は、おのれの過去のことなのである

と偉い人は言っています。
自分を振り返る過去こそが自分。
出来なかった自分も出来た自分も
今の自分を足らしめる過去の証明です。

行動をちゃんと振り返ることが出来る過去だけが、
自分がどんな人間だったのかを語ってくれます。
そうでない自分は私の知らないうちに消えてしまいます。

「何かあった」と記憶するものはきっといつか振り返ることが出来るでしょう
しかし、「何もなかった」が書いたものの中に振り返るべき過去があったとしたなら、

私はやはりもったいないことをしたのです。

22歳の私が偉そうに言えることではないですが、
私はまだまだ人生を上手く使いこなせられないのです。
もったいないと思えても、それを使うだけのキャパシティがありませんでした。

こんな話に懺悔の値打ちもありませんが、
私はもっと踏みとどまれる人間になりたかった。
大学生活の4年間で、チャンスはいくつもあった。
もしそこにもっと踏みとどめられる力があったのなら、
私はきっと今より幸福になれた、と思うのです。

なんだか重たくてごめんなさいね。
自分が先に進む前にこうやって少し立ち止まっては
振り返ったことを残しておきたかった。

これで先に行けるでしょう。
それではみなさん、またね。

猫鼠男でした。

 

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