最近のニュースを見てて感じるのは
「存在するものを否定するのは簡単なんです」
ということ。
以前、ムサビ日記時代に書いたんですけど、大事な話なのでこちらにも書いておきます。
8年前に参加した私大連研修で「ディベート研修」というのを経験しました。
1年間を通した研修で、年に4回集まるのね。
1チーム10人づつにわかれ、最初の1回目でディベートのお題が出される。
もちろん同じチームのメンバーは全員違う大学の職員です。
各自そのお題を調べ、メールなどで情報交換して、2回目で調整をし、3回目でいよいよ他チームと対決・・という流れでした。
(このディベート研修は好評で、今でもやってるそうです)
研修・ゲームとしての「ディベート」をやったことある人はご存知だと思いますが、単純に「自分は賛成派!」という形でやるのではなく、午前は「賛成派」として戦ったら、午後は「否定派」として戦わなくちゃいけない。(くじ引きでどちらか決める場合も)
つまり、自分の思想はどこかに置いて、賛成側・反対側の論理を構築できてないといけないんです。
その時のお題は
「私学助成は必要である。是か非か」
でした。
「私学助成」とは簡単に言うと、「国等からの大学への補助金」。
当然必要に決まってます(笑)
いらない大学なんてあるわけがない。
だから最初は「賛成の方が簡単だよね」とみんな言ってたけど、やっていくと「否定する方が簡単」なことに気がつきます。
なぜなら、既に存在するものはどんなものでも必ず不都合・不具合があるからです。
しかも具体的な矛盾点が。
私達が絶対に必要だと思ってる私学助成金だって、それは大学関係者と保護者の論理に過ぎず、
「私学助成に頼るのがいけないんだ。なぜ私立大学を国が守らなければいけないんだ。もっと大学は経営努力すべき。潰れる大学は淘汰されりゃいい。世の中は実力主義」
と一般論で攻められたら、身もふたもありません。
既に見えてる問題点を突っ込めばいいんだもん。
超簡単(笑)
だいたいの場合、存在する矛盾点を追究してるから否定派の方が論理的に聞こえ、説得力があります。
聞いてるほうも理解しやすい。
逆に、問題点を抱えつつ存在しつづける理由をちゃんと説明するのはかなり困難。
「行動の根拠」って説明が難しいし、見えないものを想定して理由付けしなくちゃいけない。
最後は「でも必要なんだもん・・なんとなくわかるでしょ?」的な精神論的な話になってしまう傾向があります。
ゲイサイに例えるとわかるかな?
「芸術祭は必要か否か?」
というテーマにした場合、誰もが心の中では「芸術祭はあった方がいい」とは思ってるけど、論理的に「絶対に必要だ」と説明するのはかなり難しいでしょ?
逆にいくらでも否定要素は思いつくはず。
地域のお祭を例にとると、
「形骸化してる」
「酔っ払いが増える」
「屋台にお金が入るだけで、商店街にお金が入らない」
「青少年保護的に問題」
「犯罪の温床」
「衛生上良くない」
と、いろいろ否定要素をあげることはできるけど、肯定要素って
「町内会仕切り役の●●おじいちゃんがハッスルしてる姿を1年に一度見たい」
「街に人が集まってるのを見ると元気が出る」
「みんなで一緒にお酒を飲みたい」
な話だったりする(笑)
否定意見はもっともに聞こえ、肯定意見はグダグダに聞こえるけど、だからといってお祭を中止するべきなのか?
ディベート研修の狙いは「問題発見能力・調査力・提案力・説得力を鍛える」ことにありますが、「多角的な視点を持つことの重要性」に気づくようになります。
よく私は「否定するのは簡単」と言ってるけど、「何故それがこれまで肯定されてきたのか」を肯定側の立場になって知ることが大事なんですね。
この方が大変なの。
そうすれば、より高いレベルの結論を導き出すことができるわけです。
以前は「否定する勇気」が問われてましたが、最近は「肯定する勇気」が必要な時代になっているのかもしれない。
これはネット文化と少なからず関係あるような。
そんなことを感じながら、最近のニュースを見ています。
ところで、この研修をやったのが8年前。
データ的にはわかっていたけど、「大学が潰れる」「大学が合併する」時代が本当にやってくるとは、参加してた大学職員、誰も本気で思っていなかった頃。
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