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残り99人の名称募集(続き)

昨日のエントリはかなり反響がありました。
ただ、「言葉足らずがあるから、反論あるだろうなー」とも思ってたら、やっぱりあった(笑)
ちょっとづつ補足していきます。

まず珍念くんからのつぶやき

気持ちはわかるけど「美大卒」それ以上でもそれ以下でもないと思う。個人的にはよく分からん造語で他の98人と一緒にされるのは御免です。

そうなんです。
手羽も含め、今の自分に自信を持ってる人にはまったく必要ないカテゴリであり造語。
むしろ同じにくくられることで邪魔になるケースもあるでしょう。

でも一方で、「トップアーティストになることだけが勝ち組ではないんだよ」と伝えないと自信をもてない人がいるのも事実。
美大は「●●になりたい!」と自分の才能を信じて入学してくる人の割合が恐らく一般大学よりも高いと思うんだけど、入学してすぐ学ぶことは「自分よりうまいやつがいる・・」ですからね。
以前も書いたんですが、手羽がムサビで一番悟ったのは「あ、天才っているんだな」でした。
もちろん努力でなんとかなる部分もあるし、私たちは努力するよう努めてるわけだけど、それでも乗り越えられない才能の壁が確実に存在する。
これが昨日書いた、

「あきらかに自分とレベルが違う人たちがこの小さな美大の中にいる」
ムサビ生やタマビ生は、この洗礼をほとんどの人が受けてるんじゃないかな?(笑)

であり、私はそれを知るだけでも芸大・ムサビタマビに入学する価値はあると思うんだけど。

芸術・・特にファインアート・・は「これが●●なら正解」という絶対評価が設定しにくいんで、講評会など「他人との比較」「複数意見を参考にする」、つまり相対評価で自分のポジションを確認するシステムが取られています。
もし、講評会というシステムがなければ自分のポジションがわからず、全員アーティストを目指してるかもしれない(笑)

で、そこで音量子っぽんさんからのコメント

1人をつくる教育をすることが、99人を高いレベルに引き上げるのではないか。

これには2つあります。


ひとつめは、いわゆる某仕分け事業の「1番じゃないといけないのか?」問題。
私はどっちかというと「1番を目指そうよ」派です。
1番を目指すことでなによりモチベーションが上がる。
目標は高いところに設定すべき。当然です。

ただ、目標を変える勇気も必要だとも思ってます。
これは、このエントリー
人の能力とは5
で書いたとおり。
某議員を擁護するつもりはないんだけど、「ただ暗算スピードを競うのではなく、違う独創的な世界を目指す発想をなぜしないの?なぜそれにお金を使わないの?」という言い方をしてれば、多分マスコミや世論は冷静に議論してたと思うのよね。

ただ、どうしても「目標を変えることが負け組」な風潮がある。
「目標レベルを下げよう」って言ってるのではなく、「違う目標の1番を目指せばいいんじゃね?」ってことです。
むしろ新しい分野や業種を作るぐらいの。
その機転力・発想力こそ、美大生だと思ってますので。
勝負のためのモチベーションではなく、生きるモチベーションを高められる方向に進みたいのです。

2つめ。
これは注意深く書いたつもりだったんだけど、まだ説明不足でしたね。
大学人しか伝わらなかった可能性あるなあ・・・。

これは「新しいキャリア教育の考え方」の提案です。
「勉学」という意味での「教育」は、これまで通り競わせて成長させていくやり方でいいと思ってます。
ただ、「キャリア教育」となると「いい会社に就職させる」「資格を取らせる」「パソコンを教える」的なアプローチにどうしても向かってしまうので、「それだけじゃないんじゃないの?」という提案。
このキャリア教育の話は、また別の話「美大と専門学校の違い」で書くつもりです。

 

というわけで、私が提案してるのは「残り99人の負け組の名称を考えましょう」ではないってことだけ理解してもらえれば。
「草食男子」「歴女」ぐらいのニュアンスで使える単語がほしいのよね。

Comments:8

映美造 2010年7月30日 22:56

キャリア教育って、教育課程で4年(学部)かけてやるものですか?それとも「キャリアセンター」「就職課」がやるものですか?

sara 2010年7月30日 23:49

そもそも、大学に入って、まだ他人と競争?
自分を磨く指標にするのはいいけれど、追及すべきは「自分の道」。
どんなに他人を追いかけてもね、それはどこまでも他人で「自分」じゃないから。
それに勘違いして、自分の立場保全に走り、他人を蹴落とすテクニック磨く大学生活になるのもね、人格醸造上、教育機関としていかがなものかと。社会人・組織人になってからの生存競争に勝ち抜くのに必要なのかもしれないけど、個人的にはちょっと賛成しかねる。
大事な要素を他人から真似び、自分の構成要素として成長するのは大事だし、TPOによっては戦略として自分偽るのが大事と主張する人もいたけど。自己研鑽の時くらいは、素の自分と向かい合わなくちゃ。
そういえば、昨今は大学も「高等教育」というよりも、「即戦力になりうる社会人養成機関」の要素が強く求められているんでしたっけ。「就職に強い大学」とか、雑誌の広告などで見ますよね。

法学部に進んで「裁判官」「弁護士」等、いわゆる職名が明確な仕事に就く人もいるけれど、企業の法務部で活躍する「サラリーマン(企業名+部署名(+資格名+個人名)とか)」もいるだろうし。これに模して、美大を考えるとどうなるのでしょう。

デザインの仕事で、「個人事業主」をめざすか、「組織人」を目指すかの違い?
1人の「個人事業主」と99人の「サラリーマン」って言うこと???

デザイン業界で、個人名で食べていけることの意義とか価値ってどんなものですか?
そのことは、個人が幸せに生きていくために、美大生にとって必須要素ですか?

昔、学芸員資格を取得する際に、「年間何千人も資格取得するので全員が学芸員になることは需要と供給の関係上無理。親になったら子供を連れて博物館に行ってください。それが博物館振興につながります」みたいなことをいわれたのと、美大卒の専業主婦説となんだか似ている気が。。。

sara 2010年7月31日 00:01

追伸
デザイン的な発想や創造力の育成を、美大以外のいわゆる「普通大学」たとえば教養系や経営・ビジネス系統の学部等で教育に力を入れ始めた時、美大としての独自性を維持するのはどんな要素?

まつり 2010年7月31日 00:32

姉が今年から美大生で、弟が高校一年ですが、こちらも美大に行きたいと言うんです。
高校の夏期講習でデッサンがあるのも珍しいと思うのですが、それに参加していた息子に、
もと美大生だった先生が言ったそうです。「アーティストになれるのは、大学のクラスの中でも、ひとりいるかいないかだよ、他は先生になったりうんぬん・・・」という自嘲的とも言える現実的なことを。
それを聞いた夫は「先生になれたんならいいよね~」と。

世の中の人で、なりたいものがあって、そのための選択をひとつも間違うことなく選び、自己実現できる人なんて、ほんとうに少ないでしょう。でも、これだけ美大の学科も細分化している時代に、自分に何ができて、世の中にどんな仕事があるのか、それと、今やっていることのつながりを考えるだけでも大変です。
それをすべて知った上での選択というより、知らないからできた選択のほうが多いでしょうね。
そういうところをこないだのムサタマトークでは伝えたかったのではないでしょうか。

名乗るだけなら誰だってアーティストって言えるし。お金さえ不自由なければ、一生制作だけして生きることも可能。逆に言えば、美大出たくせに作品も作らないのかといわれるのも、理不尽だわ。
作品作ってる奴が偉いのかと。それって自己満足の世界じゃないのかと。
名前なんか付けなくったっていいんです。法学部出たのに弁護士、裁判官その他法曹界に関係のない仕事してる奴なんていくらでもいるし。美大出た人だけがそんなに真面目に悩まなくったっていいんですよ。ちゃんと社会人してれば。そう思いません?

まつり 2010年7月31日 00:52

あれ、映美造さんのあとに、コメント書いてたら、saraさんのコメントとかぶる部分が。
読まずに書いたので、関連はありません。でも、同じような感じ方をしていると思います。
美大に特化される教育的成果と、社会人として求められる資質って決してかけ離れたものではないはず。
なのに、他の人とは違う自分、確固とした自分というのにこだわる人が多いのかな、美大生って。

annwn 2010年7月31日 02:17

首を突っ込まないほうがいい問題かもしれないけれどあえて。
ボクは、「他人と競争」を行ったほうがいいと思っています。やはり隣人は大事で刺激受ける上では欠かせない存在です。「蹴落とす」というより「ライバル関係」を維持することです。逆に変に全体主義に偏ると、才能のあるやつをつぶしかねません。
 隣人との競争の結果、「大事な要素を他人から真似び、自分の構成要素として成長するのは大事」になればよいのではと。

手羽さん援護の補足。
「1人と残り99人」という表現をすると、なんか「1人の勝ち&99人の負け」みたいなニュアンスにやはりとられてしまうので、その一文だけで(手羽さんはそう考えていなくても)ネガティブな要素にとられるのは仕方がないですね。
ただ大学の場合は卒業後のキャリアだけで優劣を判断してしまう人が多く、個人個人になかなかスポットが当たりにくいのも事実です。
「勝ち組」「負け組」という二元論で語れば、人それぞれによって勝利条件は違うと思います。
わかりやすい例では映画監督(映画関係の本ばっかり読んでいるので、すみません)。世間一般では「興行収入がこれぐらいいったからあの監督は勝ち組!」「観客動員数をこれぐらい確保できるなんてやっぱすごいよね!」という目で勝ち組、負け組と見られがちですが、当の監督自身では「コンスタントに作品を撮り続ける条件を獲得すること」を勝利条件にする人もいるし(北野武など。制作予算を抑えて、なおかつ海外で賞をとる事で、観客動員数は少なくても次の作品を撮れる条件をつくっている)ひとつの映画で自分の発明を実現することを勝利条件にする人もいて(押井守など)世間一般の枠組みともことなりますし、監督それぞれでも異なっています。

美大卒の人でも「アルバイトを続けているとはいえ、絵を描き続けること」を勝利条件にする人もいるでしょうし、「家族がすごしやすい家庭環境を常に構築しつづけること」を勝利条件にする人もいるでしょう。またデザインの仕事であっても「個人事業主」にとっては勝利条件がそれぞれあるわけで、キャリアだけで「勝ち負け」と早とちりの判断するのもいかがなものかなぁと。
手羽さんの言う「目標を変える」ことは「自分にとっての勝利条件を変えること」かと。もっとも、目標を変えた以上、自分の行動には最後まで責任をもって目標を達成しろ、という条件付きで。下のものが上のものを嫉妬する変なプライドがついたらアウトです。


それにしても、(手羽さんに限らず)カテゴライズする風潮はいろいろな分野で多いですね。カテゴライズされた後のことを考えると怖くないのだろうか。
蛇足ですが、ボクの出身の日本画学科では学生から美術系のマスコミまで「日本画の定義は?」という話題が必ずといっても出ます。(苦笑)仮に「日本画」の定義がこれです!って決まったところで日本画に所属している学生さんたちは自分のスタイルを急に変えたり自分を取り巻く状況が急に変化するのだろうか…そして自分を(人生含めて)かえる覚悟はあるのだろうか。気になるところです。

ずいぶん上のコメントの方々と意見がかぶってしまいました。「社会」と「美大」っていう考え方から入っていくとずぶずぶはまっていくので、「社会」と「学生」というアプローチで考えたほうがいいかと。

annwn 2010年7月31日 03:04

ちなみにカテゴライズするのが嫌だ、といった直後でなんですが「日本労働研究雑誌2007年4月号」をよむと、見事に大学を4つにカテゴライズしています。
「資格型」「専門職型」「普通教育型」「学問型」。全部大学の中で必要な要素の気もしますが…。教育改革で「仕事に役立つ教育」「資格取得のためのカリキュラム」が謳われていることに加え、専門職大学院が増加していることもあり、大学と専門学校との境界線が希薄になっていることはよく耳にします。
でもそれぞれのカテゴリーは本来は連携しているものだと思うのです。資格1つとっても「専門職」「学問」「普通教育」それぞれの要素が絡まってきますから。それは実社会の生活でもいえることだと思います。
手羽さんの言いたい「専門学校」と「美大」の違いはそういうところにあるのではないかと。手羽さんのいう「新しいキャリア教育」はその延長で考えられているのか、別物なのか、ぜひ聞いてみたいです。

宇宙(そら) 2010年7月31日 19:41

毎年全国で美術・デザイン系大学を卒業する人って何人位いるんですか?
業界に採用ニーズが無いのか、美大出ても使い物にならないのか。「業界に短し、その他に長し」

雑誌「宣伝会議」で、一社にひとりはデザイナーを!みたいな特集してたけど。正しい情報は雑誌で確認を。
http://ec.sendenkaigi.com/products/detail.php?product_id=1468

美大出た後に、人生「挫折」する時が来るだけのことで。
美大業界としては必要なのね、挫折する人たちの呼称・・・。
うーん、かなり無理して・・・「堕美出」くんとか?
自分で書いておいて、我ながら悪趣味。
でも業界人は気にいるかも!よっし、エントリーだ。CMも悪趣味なのが評判になったりするし!

当事者は、なんて呼んでほしいのかな。
・・・ていうか、呼称が必要なのは、当事者じゃないもんね。

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